Twitterに、とっておきの話438「アドになりたい」の原稿をアップしました。
最近、Adoさんの歌にハマっています。
簡単に言えば、流行に乗った訳です。
動機はそんな薄っぺらい始まりでしたが、Adoさんの歌唱力や表現力は凄まじいものがあります。
これでまだ10代という訳ですから、将来が楽しみです。
そんなAdoさんが、オールナイトニッポンのラジオで話していた話が素材になりました。
やはり僕は思うのです。
自分の好きな人や物から素材が生まれてくると。
動機はただ流行に乗っかっただけのものですが、そのおかげでこのような偶然の出合いから素材が生まれる訳です。
動機はどうあれ、好きな人や物を好きでい続けていると、その好きな人や物が自分にプレゼントしてくれるものはあると思います。
それではAdoさんがどんな話をしたのかを注目しながら、原稿を読んでみましょう⇩
【(Adoさんの画像と名前を提示)
みなさんは、この歌い手さんの名前を知っていますか?YouTubeの再生回数は億越えが当たり前。ワンピースの映画の主題歌でも話題になったAdoさんです。10代のうちにデビューし、瞬く間に時の人となりました。知っている人?(挙手)
知っている人も知らない人も、どうして彼女が「Ado」という名前なのか、気になりませんか?
(シテとアド と板書)
それはある日、彼女が高校生の頃に受けていた国語の授業で閃いたそうです。能や狂言の世界では物語の「主役」を「シテ」、「脇役」を「アド」と呼ぶそうです。当時、Adoさんは音の響きのかっこよさだけに注目して名前をAdoに決めたそうですが、後からその言葉の意味が分かり、ラジオでその頃を振り返ってこんな話をしていました。
(以下の文を提示して読み上げる)
私は歌い手として、みなさんに曲を届けることで、みなさんがシテ(主役)として歩んでいるそれぞれの人生を彩るアド(脇役)という存在でいられるのかな。そうだったらこんなに幸せなことはありません。
(アド=脇役 と板書)
アンパンマンにとってのバイキンマン、のびたにとってのドラえもん、ルフィにとってのゾロ、たんじろうにとってのぜんいつ・・・など、脇役はいつも物語の主役を支える大切な存在です。Adoさんが脇役として歌い、曲を届けている姿はとてもかっこいいですよね。
先生は、あなたたちのアドになりたいと思うのです。なぜなら、学校生活の主役はあなたたちなのですから。あなたたち一人一人がそれぞれシテとして学校生活を送っているのです。それを支える存在でありたいです。そして、みなさんも、お互いにアドとしてシテを支える存在になり合えるのなら、お互いにステキな人生の物語が紡がれていくことでしょう。】
いかがでしたか?
今や時の人であるAdoさんですが、この作った小話は流行ではなく不易な面で大切にされていくものになるのではないかと思っています。
なぜなら、「大切な誰かの物語の脇役でありたい」という考え方は不易に重要だからです。
「アドとシテ」とAdoさんがまさかつながっているとは思っていませんでしたし、それを受けてAdoさんがこんなステキな考え方をもって歌を歌っていることも衝撃でした。
みなさん教員は、子どもたちにとっては脇役的存在なはずです。
学校生活の主役は子どもたちです。私たちは脇役なのです。
子どもたちは、一人ひとりにそれぞれのストーリーがあります。
そのストーリーにおいて、学校生活を送る上で私たち教員は脇役として非常に重要な存在であるはずです。
そして、さらに言えば、恒久的ではなく、限定的な脇役なのです。
1年経てば担任は変わります。変わらないとしても、数年後には子どもたちは卒業していくのです。
いつかは子どもたちの物語から離脱する登場人物なのです。
もちろん、久しぶりに恩師に再会することはありますが、連続的ではありませんよね。
そんな有限な時間的制約があるからこそ、私たちは脇役として主役の子どもたちを全力で支えたいと思う訳です。
したがって、原稿でも私は
先生は、あなたたちのアドになりたい
と伝えています。
ここで、Adoさんが話していた「歌手とファン」という関係性から「担任と子ども」という関係性に価値が転用されます。
ここから、他の関係性にも転用できると思いませんか?
上司と部下でもいいし、母と子どもでもいいし、友達同士でもいいでしょう。
どの人もシテであり、アドなのです。
しかし、みんなシテになりたがるくせに、アドになりたい気持ちを忘れがちなのです。
お互いに大切な人のアドになりたいという気持ちを伝え合うことで、お互いのストーリーをシテとして胸を張って歩んでいけるのではないでしょうか。
気になった方は実践してみてください。
ここまで読んでいただいた方々、ありがとうございました。
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