Twitterに、とっておきの話500「助けられているのは」の原稿をアップしました。
自分が相手を助けているようで、実は自分が相手から助けられている。
そんな真理をドラえもんを観ていて最近思いました。
見てください、ドラえもんのこの嬉しそうな顔を⇩
昨日3歳の息子と一緒に観た録画番組のストーリーが心に響き、とっておきの話を創ってみました。
こうしたことは、親になるとものすごく実感します。
親である自分は、子どもを助けているはずです。
でも実は、子どもから助けてもらっていることってすごく多いのです。
一見、親がいつも子どもの世話をしているように感じますが、実はそんな子どものおかげで嬉しくなったり、喜びを味わえたりすることもたくさんあるのです。
子どもが産まれたから親になったのではなく、子どもが自分を親にしてくれるのです。
これは、担任と子どもたちの関係でも同じことが言えるのではないでしょうか。
担任は学級の子どもたちを助けているようで、実は担任している子どもたちから助けられていることがたくさんあります。
以上のように、様々な視点からドラえもんとのび太の二者関係を見つめ直してみると、新しい発見が得られそうです。
そんなことに注目してみながら、原稿を読んでみましょう⇩
【(ドラえもん と のび太 の画像を提示)
この二人のうち、いつも助けている人は誰ですか?(指名)
なるほど、ドラえもんと答える人が多いですね。
では、いつも助けられている人は誰ですか?(指名)
なるほど、のび太と答える人が多いですね。
いつもドラえもんがのび太を助けているということですね。
ある日、ドラえもんはもともといた未来へタイムマシンに乗っていき、のび太の孫の孫にあたるセワシくんと夏休みを過ごすことになります。(画像を提示)
セワシくんはのび太と違い何でも一人でやれるしっかり者です。
一方、ドラえもんは22世紀のロボットの中では不器用でこの時もセワシくんのためとやったことが全部裏目に出て逆に迷惑をかけてしまいます。
セワシくんのお世話が空回りして落ち込んだドラえもんに、セワシくんは「ドラえもんは本当におじいちゃんのお世話が身に染みついているみたいだね」と言います。その時のドラえもんの顔はなんだか嬉しそうです。(画像を提示)
その後、のび太のところへ帰るのですが、ドラえもんはどんな顔をしていると思いますか?(指名)
こんな顔をしていました。(画像を提示)
ドラえもんは、のび太のお世話ができる自分に喜びを感じていま
した。ドラえもんはのび太を助けているようで、そんな自分をいつ
も頼ってくれるのび太に助けられているのかもしれませんね。
(実は助けられている と板書)
みなさんも誰かを助けている時に、このことを思い出してみてく
ださい。助けている自分の方が、実は相手に助けられていることに
気付くかもしれません。】
いかがですか?
いつもドラえもんがのび太を助けているイメージが強いですが、実はドラえもんはのび太がいてこそ輝く面もあったのです。
22世紀ではポンコツロボットと言われ、不器用なことも多いドラえもん。
そんなドラえもんのありのままを認め、救ったのがセワシくんでした。
のび太のお世話をしているのも、セワシくんからの助言がきっかけです。
セワシくんの読み通り、ドラえもんはのび太のお世話をすることで自尊心を高め、成長していったのかもしれませんね。
いつも助けてばかりで時には鬱陶しく思うこともあったのび太に実はドラえもんは助けられていたのです。
私はこのドラえもんの嬉しそうな表情が胸にグッときました。
こういう気持ちってあるよなぁ と妙に納得しました。
これは残しておきたいエピソード素材だと思い、とっておきの話にしようと決めました。
まだ「助ける」経験の少ない子どもたちにとって、こうした感覚は分かりづらいかもしれません。でも、だんだんと「助けられている」側から「助ける」側へと成長してきた時こそ、「実は助けられている」という視点を提示してあげたいですね。
「実は助けられている」という視点は、「ありがとう」の感謝の気持ちを生み出します。
一方向的ではなく、双方向的にお互い助け合っているという感覚を共有していきたいです。
気になった方は、ぜひ実践してみてください。
ここまで読んでいただいた方々、ありがとうございました。
500話目の投稿が完了しました。
いつも応援してくださっている方々、本当にありがとうございます。
僕はいつも、みなさんに助けられています。