Twitterに、とっておきの話308「千手観音の手」の原稿をアップしました。
千手観音の手というタイトルを読んだだけでは、どんな話なのか想像しづらいかもしれません。
実はこれ、目の見えない子どもがお母さんのことを表現した言葉なのです。
それでは原稿を読んでみましょう⇩
【(千手観音の写真を提示し、 千手観音 と板書)
みなさんは、千手観音の像を見たことがありますか?
写真を見ると、手がたくさんありますよね。
「千手」とは「たくさんの手」のこと。
「観音」というのは観音様と呼ばれる仏教の世界で偉い人のことを言います。
みなさんは、こんなに手がいっぱいあって普通じゃないと思いますか?
でもね、こんな詩があります。
目の見えない子供の描いた お母さんという絵には いくつもの手がかいてあった
それを見たときわたくしは 千手観音さまの実在を はっきりと知った
それ以来あの一本一本の手が いきいきと生きて 見えるようになった
異様なおん姿が 少しも異様でなく 真実のおん姿に 見えるようになった
目の見えない子がお母さんの絵をかくと、たくさん手がかいてあったんですね。
なぜだかわかりますか?(少し間をおく)
それは、今までお母さんの手がその子にいろんなことをしてきたからです。
さみしい時は手をつないであげ、抱きしめてほしい時は手で体を寄せてくれた。
他にも、お母さんと関わる時はいつもお母さんの手が何かをしていた。
目の見えない子にとって、それくらいお母さんの手というのは当たり前のように見えてたくさんのことをしていると感じたのでしょうね。
千手観音のたくさんの手も、今までしてくれたことを思い出せば、誰でもたくさんの手をかけてもらっているから当たり前だとこの詩は言っています。
みなさんは今まで、どんな人からどれだけの手をかけて生きてきましたか?
だれの手も借りずに生きてきた人なんて一人もいません。
きっとだれでも、千手観音のように数えきれないほどの手をかけてもらって生きてきているはずです。
その手を感じられる人になってくださいね。
そして、みなさんも、だれかのために自分の手をいくつも差し伸べられるような人になりましょう。】
こうやって読んでみると、
愛情
がテーマのような気がしますね。
目の見えない子にとって、母からの愛情はまるでたくさんの温かい手のように感じるのでしょうね。
それだけ多くの場面で母から愛情を注がれてきたという訳です。
愛情と言えば、親子関係だけでないですよね。
教師と子どもの関係でも愛情が生まれます。
子どもへの愛情という意味では、千手観音の手のような想起がされる教師でありたいですよね。
みなさんの周りには、千手観音の手と呼べるほどたくさん愛情を注いでくれる人はいますか?
そして、あなたは誰かにとっての千手観音の手と言えるでしょうか?
気になった方はぜひ実践してみてください。
ここまで読んでいただいた方々,ありがとうございました。
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