Twitterに、とっておきの話257「タイムは55年・・・」の原稿をアップしました。
みなさんは、この方をご存知でしょうか?
日本初のオリンピック出場マラソン選手の金栗四三さんです。
マラソンの父
と呼ばれるほどの人ですが、初めて出場したオリンピックでは大変なことが起きてしまいました。
なんと日射病で倒れ、行方不明扱いをされてしまったのです。
日本国内での大会ではその当時の世界記録を20分以上も塗り替えるようなマラソン記録を出していたのにです。
金栗さんは、このオリンピックでの失敗がきっかけでひどく落ち込んでしまいました。
それでも、日本のマラソンの発展のために尽くしてきました。
その年数・・・
50年
です。
50年もの間、マラソンの発展のために活動を続けたのです。
選手として活躍できなくなっても、裏方としての活動をやめなかった金栗さん。
さらに5年後、ステキな出来事が待っているのです。
1967年、ストックホルムオリンピック委員会から「オリンピック55年祭」が開催されるので来てもらえないかという連絡が届きました。
式典後、当時のコースを懐かしげに辿る金栗さん。
そして55年前にたどり着けなかったスタジアムに足を踏み入れました。すると…
そこには観衆と役員、そしてゴールテープ。
理由はみなさんなら察しが付くでしょう。
喜んでそこへ向かい、思い出のスタジアムで念願のゴールテープを切った金栗さん。
そして、こんなアナウンスが流れました。
『日本の金栗がただ今ゴール。タイムは55年…。
ただいまをもちましてこれで第5回ストックホルム大会の全日程は終了しました』
一度は日本中の期待に応えられない自分に落ち込んだ金栗さん。
それでも、50年間マラソンのために働き続けた姿は、世界中の人たちを動かしたのです。
今回のとっておきの話は、
挫折
努力
継続
応援
生き様
など、様々なテーマを含んだエピソード素材を扱っていると思います。
日本初のオリンピック選手というだけで、栄誉ある出来事だと思いますが、
その直後、オリンピックでは行方不明扱いされて大失敗。
日本の期待を背負って出場しているにも関わらず、日射病というどうしようもない状況で失格を突き付けられてしまったのですから相当落ち込む出来事だと言えます。
金栗さんは違いました。
挫折をしましたが、そこから立ち直る力があったのですね。
立ち直ると言っても、選手復帰ではありません。
選手ではない立場におかれても、心のもちようや考え方を変えて前を向いたのです。
そして、さらにすごいのが・・・
50年以上の継続力
です。
マラソンの発展のためにただひたすら活動を続ける。
これはとてつもないことです。
一度挫折を味わったマラソンに対して、です。
最後のスタジアムでの演出からは、
あなたの姿を見ている人は必ずいる
というメッセージ性も感じます。
たとえ裏方であっても、金栗さんの50年の努力は周りの人に響いていたのです。
いい話、感動できる話だからこそ、今回のとっておきの話も話し方に気を付けながら話したいですね。
気になった方は、ぜひ実践してみてください。
ここまで読んでいただいた方々,ありがとうございました。
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