Twitterに,とっておきの話108「勉強より study」の原稿をアップしました。
この人をご存知でしょうか?
2008年、ノーベル賞を受賞した物理学者の益川敏英さんです。
実は、勉強が大嫌いな少年だったそうです。
そんな益川さんは、本の中でこんなことを言っています。
【人から強制される勉強は大きらい。だいたい、「勉強」という言葉に「強いる」という文字が入っているのが気に入りません。先生や親に尻をたたかれてイヤイヤやらされたり、人の顔色を気にしながらする勉強が、楽しいはずがありません。】
確かに、勉強という言葉には「強いる」という言葉が入っていて、やらされている感じがしますよね。
子どもたちの中にも、勉強はやらされているものだと思っている人がいるものです。
それは,勉強させるものだと思っている教師がいるからです。
教師は「教える人」という固定観念の話は前回のとっておきの話でもしました。
一方,益川さんは「勉強」という言葉を使いません。
studyをしよう
と言います。
益川さんは、本の中で次のようなことも言っています。
【それに対して、日本語の「勉強」にあたる英語の「study」の語源には、「知る楽しみ」という意味があるそうです。
ぼくは、この「study」にこそ、本来の学ぶことの意味が込められていると思います。
自分の知らないこと、知りたいことが理解できるようになるというのは、とても楽しいことだからです。
現にぼくはそうやって、子どものころから数学や理科を楽しんで学んできました。
ですから、ぼくはみなさんには、学校の教室を「勉強」する場ではなく、新しい知識を「study」しながら、吸収していく場として考えてほしいと思います。】
学校の子どもたちは,「知る楽しみ」を味わいながら授業を受けているでしょうか?
これは,教師にとっても戒めの問いになりそうです。
「勉強」と「study」の決定的な違いが「知る楽しみ」があるかどうかです。
だれかに強いられるよりも,自ら知る楽しみを味わう。
そんな「study」の価値に聞き手である子どもたちが気づくといいですね。
「study」は主体的な学びを促す合言葉です。
ちなみに,益川さんはマイナスに捉えた「勉強」という漢字。
個人的には別の見方もできると思っています。
「強」は確かに「強いる」と読むとマイナスですが,
「強くなる」と読めばプラスです。
「勉めて強くなる」と読んだ「勉強」ならどうでしょう?
「勉強」が0,「study」が100なんて言う極端に偏った見方は危険です。
その言葉をどう捉えるか。
柔軟な考え方で向き合いたいものです。
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