Twitterに,とっておきの話107「先生は一緒に学ぶ人」の原稿をアップしました。
ここは教育観の違いが問われる内容だと思いますが,
先生は「教える人」。という固定観念に囚われていると,時として子どもの主体的な学びを阻害してしまうかもしれません。
先生は子どもと「一緒に学ぶ人」。でありたいものです。
これは私の経験則ですが,先生が「教える人」として立ち続けると,子どもは受け身になります。
一方で,先生が「一緒に学ぶ人」として励まし続けると,子どもは主体的になるものです。
僕はよく,「先生でも知らないことを発見してすごいね!」とか「先生なんてみんなが協力して学び合いをしたら簡単に超えられるよ」なんて子どもたちに言い聞かせます。
すると,いつしか本当に先生を必要とせずに,子どもたちだけで学びが成り立ってしまうものです。
こうした考え方を提示する上で素材としたのが,次の言葉です。
【私たちは子どもと共に学びをはじめ,
子どもと共に学びをつづけ,
子どもと共に学びをおえる。】
これは,アメリカの医学博士であるウィリアム・オスラーの次の言葉を真似して作ったものです。
【我々は患者と共に学びをはじめ,
患者と共に学びをつづけ,
患者と共に学びをおえる。】
医師と患者の間柄には,教師と子どもの間柄に通じるものがあります。
学び始めも,学び続けるのも,学び終えるのも,子どもと共に。
そんなスタンスで教壇に立つのも大切ですよね。
このように,「教える」「教わる」の立場を超えた関係は素敵だと思います。
子どもたちからしても,先生は「教える人」という固定観念があります。
なので,この話をすると意外そうな反応を示します。
固定観念は他にも,様々な場面で存在します。
まずは教師自身が,学校で当たり前とされている固定観念を疑ってみる。
そこに新たな考え方が潜んでいるものです。
気になった方はぜひ,実践してみてください。
ここまで読んでいただいた方々,ありがとうございました。
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